九州人の私が「さす九」に思うこと

最近ネットで「さす九」という言葉を多く見かけます。

これは「さすが九州」の略で、九州には男尊女卑の意識が根強く残っているとして、そういう風習、言動を指して「さすが九州」と揶揄するときに使う言葉だそうです。もともと最近のネットでは「九州は男尊女卑的だ」という話題・言説が増えつつありましたが、福岡の地方紙である西日本新聞が「さす九」という言葉とともにその件を取り上げたことで、一気に広まった感じがします。

男尊女卑やゆ「さす九」SNSで拡散 性別による無意識の思い込み調査、九州の傾向は – 西日本新聞

私自身は愛知県出身なのですが両親ともに長崎県出身で、高校から九州に移り今もなお九州で暮らしている身であり、この九州地方全体を差別する言説、風潮は大変不快に感じます。

「さす九」はただの差別だ

確かにネットには「未開の地群馬(グンマー)」「大都会岡山」「修羅の国福岡」といった地域を揶揄するスラングがあり、地域をネタにする空気があるのは事実です。しかし、先に挙げた例はお笑いのネタとして共通の理解を得ているもので、差別とは一線を画しているものです(もちろん、これらのネタで不快になる人や真に受けて差別に昇華してしまう人もいるだろうとは思いますが)。これに対し「さす九」はどストレートに地域全体を差別しており、単に憎悪と対立、分断を煽動するだけの言葉です。

そして何より、男尊女卑的な風習、風潮って九州だけじゃなくない???って思います。一昔前まで「家のことをするのは専ら女性だった」「女性は大学に進学しなかった」「会社では女性社員が男性社員に『お茶出し』していた」「女性社員は結婚したら退職するのが普通だった」などと、女性は差別され抑圧される存在だったというのは、何も九州に限ったことではなく日本社会全体の課題、問題だったわけです。

社会の発展、政策の進展によりそれらも改善されつつある一方で、田舎や一定以上の年齢の人々にはまだ男尊女卑的な意識が残っているというのも事実でしょう。でも元々が日本社会全体の問題だったわけですから、そんなのは九州に限らず、どこにでも存在する普遍的な問題だと思います。

まさか、九州以外の地域では隅々まで男尊女卑の風潮、女性差別は完全に解消されたとでも言うのでしょうか?九州だけを取り上げて「さす九だ」なんて、実に馬鹿らしいです。日本社会全体の問題を九州という一地域の問題として矮小化している、九州に全ての責任を押し付けているようで、本当にただの差別、いじめでしかないと思います。

まあ、九州は「九州男児」という言葉があること、本州・東京からは海を隔てた遠いところにあること、方言が強いこともあって、こうやって差別しやすい地域ではあるのかもしれません。

「さす九」で呪いと化した九州差別

今回「さす九」という”便利な言葉”が広まってしまったことは大きなターニングポイントで、これによって九州差別、「さす九」は完全に呪いと化したと感じます。

もうこれからは九州の人が少しでも男尊女卑的言動をしようものなら、すぐさま「さす九」というレッテルを貼られることになるでしょう。これまで九州差別の意識がなかった人たちも、九州地方の話題や九州の人の言動としてそういうものに触れたら、「あ、さす九だ」と思ってしまいます。これまでは男尊女卑的言動に触れたら「時代遅れだな〜」とか思うぐらいで地域の問題にはしなかったのに、それに九州が関係していれば「さす九」を連想し、一気に「九州の問題」として無意識のうちに九州を差別してしまうことになるのです。

むしろ九州の人も、身近で男尊女卑的言動に触れたら「これがさす九か」と思ってしまい、自らの尊厳、アイデンティティを嫌悪してしまうでしょう。これまでは単に個人の問題、特定集団の問題として捉えていたのに、一気に九州の問題として捉えてしまう。

この「さす九」という言葉の登場で、九州差別は加速度的に強化され、固定化されることになるでしょう。

そもそも「さす九」なんて本当にあったのか?

でも、そもそも「さすが九州」「さす九」という言葉、概念自体が本当にあったのか?ということからしてかなり怪しいです。

件の西日本新聞の記事がWeb配信されたのは3月9日なのですが、それ以前に「さすが九州」「さす九」をツイートする人もGoogle検索する人もほとんどいなかったのです。それが西日本新聞の記事が配信されたことで爆発。

Yahoo!リアルタイム検索のTwitter(現X)「さす九」投稿数データ。2025年3月16日朝取得。
「さすが九州」はこんな感じ。ハッシュタグでしても同じ傾向。
Google Trendsの「さす九」データ。2025年3月16日朝取得。

冒頭に述べた通り九州差別の言説自体はにわかに盛り上がりつつありましたが、そういった話題の中でも「さすが九州」「さす九」なんて言葉は使われておらず、ほとんどの人が知らない言葉でした。ごく一部の人が独自に使っていただけの言葉でしょう。「さす九」という言葉自体は全く何のムーブメントも起こしていなかったわけです。

そんな中でわざわざこの「さす九」を見出しに使って記事にした西日本新聞は結果的に差別を再生産し強化した格好で、かなり罪は重いと思います。当該記事の冒頭は「さす九-。今、交流サイト(SNS)で広まっている言葉だ。」という書き出しですが、そんな言葉な全然広まってない、記者の頭の中だけにある、記事を書くのに都合の良い虚構です。

「さす九」というキャッチーで便利な言葉が再発明されたことであらゆるところに伝播してしまい、「確かに九州は男尊女卑なんですぅ〜、私の経験は・・・」「さす九なんて差別はけしからん!」と人々は無意味な怒りと憎悪を掻き立てられ、そして「さす九」が話題と知るや否や拝金主義の商業Webメディアが一斉に「九州は男尊女卑!今『さす九』が話題です!!!読者のさす九エピソードをご紹介!」という記事を嬉々として配信し、これによりさらに「さす九」が伝播し、さらに多くの人々が無意味に怒り・・・を繰り返す。なんだここは地獄か?

まあ、なのでこうやって記事を書くこと自体が無意味で、イーロン・マスクの思う壺だとは思ったのですが…。

ほんとなんか、困った事態だなぁって感じです。ミームも一瞬で生まれて一瞬で廃れていく昨今、「さす九」も一瞬で廃れていくのか、それとも定着してしまうのか、どうなっていくんでしょうね。。。

コメント

タイトルとURLをコピーしました