おじさんは「若者は気が利かない」と言うけど、当のおじさんには「気」が無い

最近思う話。

おじさんが「最近の若者は気が利かない!」と嘆く、というのは一般論としてよく聞く話です。
まあ、会社で「気が利かないなぁお前は!」と直接言われようもんならただのパワハラですから流石に直接言われることはないですけど、おじさんがそう思ってるんじゃないかと思うような場面に遭遇したり、なんか知らんけど私を「気が利かない男認定」している隣の隣の部署のおじさんとかはいたりしますw

でも、なんていうか、おじさんと仕事をしていて気付いたんですけど、当のおじさんも気が利かないというか、「気」が無いような気がします。

想像力が欠如しているおじさん

なんというか、おじさんには想像力が無い人が多い気がします。

自分の部署の常識を他人の部署に当然のように求めたり、年次の浅い社員が当然知る由もないことを知っている前提で話をしたり、とか。「自分の常識は他人の非常識」というのは、まったくもってその通りなんですよね。その常識の違いを埋めてスムーズに仕事を進めるためには想像力を働かせなければならないのですが、その想像ができずに他人と自分のギャップを超えられない。

百歩譲って法律とかISOとか、社会レベルで決まっていることであればまだいいのですが、一番厄介なのは社内ローカルな物事。私ではありませんが、年次の浅い社員が分からないことがあっておじさんに質問してたら「それは○○(ゴリゴリの社内用語)だよ!」と当然のように言っていたのを見たときは、他人のことながら頭がクラクラしました。

デジタル大辞泉によれば「気が利く」とは、「細かいところにまで注意が及ぶ。」ということですから、おじさんの行動は「気が利く」とは真逆のことです。

そうやって当のおじさんに気が無いのに、何かに気付いたとしても気を利かせてしないといけないのだろうか?と思ってますます若者は気が利かなくなってしまいます。自分たちが持っていないことを、他人にだけ求めるのはおかしなことでしょう。

システムの不備を「気の利く、利かない」に矮小化するな

そもそも、「気が利く」などという表現を使うと、あたかもその人の「性質」の問題であるかのように感じられますが、それって本当にそうなのでしょうか。

業務や教育のシステムの不備を「気の利く、利かない」ということに矮小化しているような気がします。

業務上、その事を知ってやらなければならない、ということがあれば、それは業務や教育のシステムに組み込んで確実にできるようにすればよいだけのことです。教育や引き継ぎもろくにせず「気が利かない」などと糾弾するのはなんか違うと思います。私は教育や引き継ぎは優先順位と重要性がかなり高い「仕事」だと思うのですが、そう思っていない、それが理解できていないおじさんは多い気がします。

なぜおじさんは「気」を失くしてしまうのか

でも、なぜおじさんには「気」が無いことが多いのでしょうか。

歳を重ねておじさんになるにつれ、「気を利かせる」立場から「気を利かせられる」立場になり、自分自身が気を利かせることがなくなるからでしょうか。

まあ、年齢というのは(少なくとも日本社会では)ある意味絶対の権力である一方で、それ自体は自身の能力とは全く関係ないところで勝手に得られるものですから、年齢という権力と能力のバランスが取れていないと、そうなってしまう気がします。そして、それをこじらせると傲慢な人になってしまいます。

気の無いおじさんになりたくないけど…

そうやって気の無いおじさんについて書いてきましたけど、私も年を取っておじさんになったらそうなってしまうのでしょうか。

少なくとも今は気の無いおじさん達よりも想像力を働かせられていると自負していますが、それもいつかはできなくなり、傲慢になっていってしまうのでしょうか。。

そもそも、別におじさんに気が無いのではなく、お前がそういうレベルが低い環境にいるだけだ(=お前のレベルが低い)という指摘をされればそれもまた正しいと思いますが。。。

想像力を持ち続け、謙虚に生きて「気のあるおじさん」になりたいものです。

最後に、私の好きなツイートを紹介して終わりましょう。

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